麻痺は運動神経に使う用語なので 正しくは、下歯槽神経の知覚異常、鈍麻 です。
下顎の周囲と舌の一部の感覚は三叉神経の一つの枝である、下顎神経により脳に伝わっています。
この下顎神経も途中で枝分かれをしており、主なものとしては、頬神経と舌神経となり、その後が下歯槽神経、最後の末端はオトガイ神経と名前がついています。又、不具合を起こす場所により、以下の名前が付いています。
- 下歯槽神経麻痺(片方の下顎の前方がしびれます。)
- 舌神経麻痺 (舌の半分の前の方がしびれます。また、舌前2/3の味覚も失われる場合があります)
- オトガイ神経麻痺(1より範囲が狭い下唇の一部周辺がしびれます。)
これは、不幸にして起こってしまう、歯科治療に伴う偶発症(偶然に起こってしう症状)の一つです。
患者さんにとっては、とても不快なのは言うまでもなく、歯科医にとっては、予想し得ない場合にも起こるので、とても悩んでしまう症状の一つです。10年歯科医をやっていれば、軽度の症例なら1例位は経験する程度の頻度だと思います
それではもう少し詳しくご説明をしましょう。
1.下歯槽神経麻痺
下歯槽神経は、下顎に分布している感覚を司る神経で、唇の周囲や下顎の皮膚や歯及び歯の埋まっている粘膜の感覚を受け持っています。
この神経が麻痺しますと、下あごの周囲の皮膚や口の中の粘膜の感覚の障害となります。
症状
下歯槽神経が麻痺しますと、その受け持っている部分が麻痺します。つまり唇半分から下顎にかけての皮膚から口の粘膜にかけてです。治療等の偶発事項では左右両方の下歯槽神経が麻痺する事は考えられませんので、麻痺するのは必ず片側です。又、筋肉を動かすのは顔面神経が受け持っていますので、動かす機能自体の麻痺は起こりません。但し、人間が筋肉を動かす場合は、感覚を参考に動かしますので、下歯槽神経が麻痺しますと、顔面神経を動かす為に参考になるデーターが少なくなりますので、水を飲むとき等、うまく唇を動かすことができなかったりして、水をこぼしてしまったりする事が有ります。
どの様な場合に起こってしまうのか。
- 下の親知らずの抜歯で下歯槽神経に傷害や力がかかってしまった場合。
- インプラント(人工歯根)を埋めた場合で下歯槽神経に近接しすぎた時。
- 下顎の中の埋伏歯(骨の中に埋まっている歯)の抜歯。
- 親知らずでは無いが下顎の歯を抜歯した場合。
- 局所麻酔による場合。(ほとんどが一過性)
- 下の歯の神経を取る治療(根管治療)をした場合。(これも下歯槽神経に近い場合)
- 下顎の骨の中の腫瘍等を摘出する手術をした場合。
- 下の顎の周囲の粘膜を切開したり、傷付けた場合。
- 下顎を後方に引っ込める外科手術をした場合。
腫瘍の手術や骨折などの手術の場合は高頻度で生じますが、それほど、存在する様な疾患では有りませんので、皆様が遭遇するケースとしてはやはり何といっても、親知らずの抜歯とインプラントを下顎の奥の方に埋めた場合が圧倒的に多いと思われます。それは、下歯槽神経の通り道がちょうど、親知らずの直下に有るからです。
そして、抜かなければならない親知らずは多くは、半分埋まっている様な歯の為、なお更、神経に近くなってしまうのです。
親知らずの抜歯で下歯槽神経麻痺を起し易い状況。
90度程度回転している親知らずでなければ麻痺のリスクはほとんど有りません。
回転している場合、麻酔の確立は高くなります。
- 根の数が2本以上の場合は簡単に抜けないので、麻痺の確率はたかくなります。
- 単純レントゲンで神経の幅の半分以上親知らずの根がダブって見える場合も麻痺の確率は高くなると言われています。
- 親知らずの頭の位置が神経に近い場合は、抜く際に親知らずの頭を削るので、その際に神経を傷つけやすい。
左図の様な場合は、要注意!
よって、抜歯については、メリットが余程ある場合以外は、慎重に検討を要します。
インプラントでの下歯槽神経の麻痺
2ミリ程度は離した方が良いと言われています。(CTで予測可能)
現在では、1ミリでも良いと考えられています。しかし、この場合は相当、慎重に、特に術中のCT撮影は必須です。
2.舌神経麻痺
下の親知らずの抜歯や歯周病の手術の時に起こることがりあります。舌神経は上述の下歯槽神経の様にレントゲンやMRI、CTで術前に位置を知る事が困難です。
症状
舌神経は、舌の前方の感覚をつかさどります。
ただ、意外と親知らずの周辺では粘膜の浅い部分に存在します。
これを傷つけますと、舌の前方の2/3感覚が鈍くなったり失われたりします。ただし、舌神経には顔面神経の枝の鼓索神経も含まれますので、味覚も失われる場合があります。
どの様な場合に起こってしまうのか。
- ・親知らずの内側の舌神経を親知らずの抜歯の際に、親知らずの一部を削る必要が有った場合。
・舌神経がたまたま通常より浅い位置にあった場合。
・削るドリルにより舌神経を傷つけてしまう場合。
・抜歯後に縫合した時に、舌神経を一緒に縫いこんでしまう場合も起こります。 - 親知らずの後方直後に舌神経はあります。抜歯する際に、歯並びの延長上にメスを入れてしまいますと、舌神経の麻痺がおこります。
これは2007年度の歯科医師国家試験では禁忌枝として出題されたようです。(禁忌枝:通称地雷と言って、これを間違うと他ができても不合格)ただ、人それぞれ体のつくりは違います、思わぬ所に神経が通っている場合もありますので、それが怖いところです。舌神経はレントゲンでは映りませんので、事前に予想する事は困難です。 - 意外と知られていないのが、下顎第二大臼歯の後方に行う、ディスタルウエッジ法と言う歯周病の手術
もしも舌神経が断裂してしまった場合は自然回復はあまり望めません。顕微鏡下で縫合する必要が有りますが、日本ではあまり行なわれていないのが現状です。しかし唯一、和歌山県立医科大学、口腔外科(藤田教授)では舌神経を縫合する事による麻痺の治療が行なわれており、成果が認められております。
3.オトガイ神経麻痺
オトガイ神経は、下歯槽神経の最後の末端です。下唇の半分とその周辺の皮膚の感覚を司ります。
どの様な場合に起こってしまうのか。
インプラントの埋め込みの際にGBR手術を引き続き行った場合に起こしやすいです。
GBRはインプラントを埋めようとしても骨が少なかった場合に骨を作る処置で、粘膜を大きく減張切開をしなければならいので、その際にオトガイ神経を傷つけてしまう事が考えられます。オトガイ神経は下顎の小臼歯部の根の先付近ですので、そこ以外では起こりません。
又、義歯等を入れるに当たって、下顎の頬小帯が邪魔になる時に、そこをつまんで切除した場合にも起こりえます。
神経麻痺の予防や治療や対策について。
神経麻痺を予防するには
これは、患者さん側ではなく、術者側の話です。
下歯槽神経は、これ自体をレントゲンで見ることはできませんが、骨の中のトンネルの中を通っていますので、このトンネルをレントゲンで見ることができます。また最近では、デンタルCTと言う立体で見えるレントゲンがありますので、インプラントや、難しそうな親知らずの抜歯は、CTの撮影をしておくことです。
そして、解剖学的な知識を常に持って処置にあたること。又、下顎の親知らずの抜歯の場合、舌側歯肉には充分に注意する事です。もしも大きく傷つけそうな場合は、腫れますが舌側骨膜まで剥離をして金属板を挟んでおくのも良いです。
予後について
神経繊維の損傷の種類によります。神経損傷には、最も多い、挫滅や圧迫、その他に、切断、過進展、などが考えられ、挫滅や圧迫程度ならば、3週間から、数ヶ月で完全回復すると言われています。それ以上に、圧迫が長く続いたりした場合で経繊維の連続性は保たれている 場合は、最終的には感覚は良好に回復するが、麻痺以前の状態には戻らない場合も有るそうです。
特に厄介なのは、完全に切断してしまった場合で、幾分感覚は回復するが、回復する神経繊維の種類によって、長期間にわたり、痛覚が過敏になったり、異常な感覚に長期間悩まされる場合も有るそうです。
回復の過程は、先ずは深い部分の感覚が戻り、それに続いて、表面の感覚が戻ってきて、その後に、痛覚の過敏な状態が生じてくるそうです。そうしているうちに、だんだん、位置感覚が戻ってきて、(どこを触っているかの感覚)それから正常に感覚が回復するそうです。
麻痺に対しての治療
麻痺に対しては、薬物療法、や星状神経ブロックや、半導体レーザーなどが使われます。薬物としては、ビタミンB12やATPと言う薬が使われますが、少々気休めな様な感じで、神経が切断されていなければ、時間の経過を待つしか無いような印象です。あと、回復する時期に伴う、知覚異常には、局所麻酔薬や、ステロイド剤、非ステロイド剤、抗うつ剤、抗痙攣剤を使います。
不幸にして神経が完全に切断された場合は、神経の縫合術や、移植術も行われます。それは舌神経の場合は、神経損傷後、1ヶ月しても、完全に麻痺が持続する場合や、回復が緩徐で有っても、3ヶ月以上経過して、患者さんが希望する場合、異常感覚が主症状の場合行われます。その成功率は、金子らによると66%から75%とされてる様です。
それは、その歯と神経の距離によるからです。その距離は個人によって大きな差があるからです。
親知らずの抜歯に伴う、神経麻痺の頻度は、私の経験では0.2パーセント。文献によると、3.4から6パーセントです。
参考文献・日本歯科評論 September 1998,No.671
記入 1999・7.14
改変 2020.9.7
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